20××年のとある昼下がり。甲野乙子弁護士事務所の電話がなった。
「甲野さん、丙谷さんからお電話です」と事務局の丁山さんから声がかかった。弁護士人口も一昔前に比べる格段に増えたことでもあるし、身内で「先生」と呼び合うのもどうかと、最近の弁護士会では、「さんづけ」が一般化しているようだ。ところで、丙谷氏とは、甲野弁護士の夫である。夫のことを「ご主人」と呼ぶ風習があったのは一昔前までのこと、妻が夫の「家来」ではなくなったのは二昔前のことであった。○○年前に選択的夫婦別姓法案がとおり、夫婦別姓が一般化した今日では、夫婦間でも名前で呼ぶのが通例のようである。その背景には、戸籍制度が廃止されて、個人登録制が採用されたことの影響も大きいようだ。「夫婦の一体感がなくなった」とお嘆きの方々もいらっしゃるようだが、実際、昔のような性別役割による持たれあいが減り、自立性が高まってきている。税金や社会保険等においても、配偶者控除や「3号被保険者」が撤廃されて、個人単位に変更されたことの影響も大きいようだ。そういえば、1999年12月、アメリカバーモント州最高裁で「同性カップルにも一般の婚姻と同等の権利を与えるべきである」との判決が出され(朝日新聞99年12月21日付)、フランスではあらゆる同棲カップルに婚姻に準じる権利を認めるパクス(PACS)法「連帯のための市民協約」が成立して注目されたが(朝日新聞99年12月27日付社説)、それから遅れること△△年、ようやく日本でも、「同性カップルを異性カップルに比べ差別するのは違憲」との最高裁判決が出た。そしてついに今年の国会で、同性間の婚姻を認める民法改正案が審議されるようだ。
丙谷氏からの電話は、「一人息子の太郎が熱を出したが保育所に迎えに行けるか」との問い合わせだった。甲野弁護士の訟廷日誌では、この後、養育費不払いのために一時拘禁中の男性との接見が予定されていた。すぐに迎えに行くのは難しいので、病児保育システムを利用することにする。各保育所の保健室では看護士による看護が受けられ、看護士の判断で医師による往診や病院への搬送の措置もとれるようになっていた。とにかく、21世紀に入ってからの子育てに関する制度の進展は目覚しい。20世紀の最後4分の1は少子化の一途であって、98年の合計特殊出生率は1.38人にまで落ち込み、このままでは100年後には日本の人口は半減すると言われていたのだ。それであわてて、保育サービスの充実や保育の無償化、労働時間の短縮や育児休暇制度の充実がはかられた。やっとその成果があらわれ、今年、合計特殊出生率が人口を維持できる2人にまで回復したのである。養育費履行強制制度もその一環と言える。離婚や非婚の増加が少子化の要因になっていて、その原因の1つが養育費不払の問題だった。そこで、国が、別れて暮らす親から養育費を徴収して、育てている親に支給する制度が、一昨年、創設されたのである。養育費の不払いは一種の「脱税」とされ、悪質な場合には刑事罰の対象とされた。これは給料天引き制度を持つアメリカの「児童養育費の履行強制に関する1984年改正法」や「くり返し扶養を怠る者は軽罪にあたる」と定めるアメリカ模範刑法典を参考につくられたものである。そして、甲野弁護士がこれから接見に行くのは、「まさか」と思って家裁による度々の警告を無視しつづけ、「拘禁第1号」とされてしまった不幸な父親だったのである。
思えば、ここ数十年は、女性の権利のための時代だったと言えるかもしれない。1970年代「わたし作る人、僕食べる人」というCMが女性差別だとの指摘には嘲笑があびせられ、1980年代「セクハラ」は揶揄の対象だった。しかし、1979年に女性差別撤廃条約が国連で採択制定され、その後も国際会議の場で多くの決議や宣言が行われてきた。日本においても、1985年にこの条約を批准し、女性差別撤廃への取り組みが進められた。1999年6月に制定された男女共同参画社会基本法も、条約に定められた国の責務として制定されたものである。さて、男女共同参画基本法は、改正に改正が重ねられ、現在では、あらゆる分野における男女差別が間接差別も含めて罰則つきで禁止されている。その成果は着実に上がっていて、女性労働者の平均賃金は男性の八割にまで達してきている。女性の取締役はめずらしくないし、女性パイロットも、男性保育士も増えた。女性の国会議員や大臣もようやく全体の四割を占めるようになってきた。最高裁判所の長官も昨年まで女性だったし、我が大阪弁護士会の会長もこのところ三年続きで女性である。
あらゆる分野への社会男女共同参画は確実に進みつつある。保育園に通う一人息子が大人になる日までには、是非とも、男女共同参画社会をゆるぎないものとしたい。甲野乙子弁護士は、そう強く願うのであった。